伊勢神宮の分神、遙宮(とうのみや)小石川大神宮
ご利益は?
1966年(昭和41年創建)3月7日、戦後唯一伊勢神宮の分祀をいただいた神社であり、国家国民の安泰隆盛、国民の幸福を祈念する開運全般です
都営地下鉄「春日駅」下車。2018年2月10日、当日の足取りとしては昼の時間でしたので、最初に昼食を摂りました。
昼食後春日駅に戻ってくる感じで、駅前にある「神田上水の石樋」
石樋は、石で作られた水道管で、流れの上部に 蓋のようにして置かれている部分などがあります。
神田上水の取水元は井の頭池で63Kmを運んで江戸に水の恵みを与えてくれる壮大な事業です。空気と同じく水は普通にどこでも入手可能という私たちの感覚ですが、ありがたい存在です。
「富坂」
当日の起点となった、春日駅前の春日町交差点から伝通院前に上る坂道です。上掲の旧町名案内に記載のように、かつては鳶が多くいたことから、「鳶坂」から転じて「富坂」になったとのこと
富坂を上ってしばらく進んで右折すると間も無く、ビルの前に鳥居がある、珍しい光景に出くわします。小石川大神宮です。
鳥居奥のビルの左側の管理人室のようなところが社務所で、ここで御朱印を拝受できます。
伊勢神宮祟敬者総代(昭和二十七年以来)であり、稀代の敬神家であった故佐佐木勝造翁
まっすぐ進み、突き当りが御本殿になります
小石川大神宮を出て、右折し 島木赤彦の旧居いろは館跡に向かいました
島木赤彦 明治・大正時代のアララギ派歌人
教育行政官である諏訪郡視学として雑誌「アララギ」を信州から支援していた。
1914年(大正3年)当時『アララギ』の運営方法を遠方から見ていられず、自分で「アララギ」を再建すべく、諏訪郡視学を辞任し、上京。死去する1926年(大正15年)までの約12年間「アララギ」の編集、発行に尽力した。この当時に、「いろは館」にてその任に当たってたとの碑があります
この後は、江戸三十三観音 12番札所、伝通院へと向かいました。
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